インドネシアには、オランダ建築に大きな影響を受けた建物が多く、特にバンドン市内には数々の歴史的価値のある建物がいまでも残っています。
Gedung Sateは街で最も古い植民地時代の建物の一つです。インドネシアとヨーロッパの構造設計から影響を受けたユニークな建築様式が特徴です。屋根の上にあるかざりが、サテのスティック(サテとしても知られている)に似ていることが名前の由来だといわれています。サテは日本の焼き鳥のようなもので、インドネシアの軽食として有名な食べ物です。
Gedung Sateは1980年以降、知事と副知事のオフィスとして使用されているだけでなく、西ジャワ州の政府の主要な建物としても使用されています。建物の東部と西部には、当時ヨーロッパ人が好んで建てた、談話室として使用できる大きな部屋があります。その部屋は現在、正式な行事の際に東部および西部のホールとして頻繁に使用されています。これらの二つの部屋の周りには、西ジャワ州政府によって使用されるいくつかのオフィスがあります。
オランダの東インド諸国政府が、新たに決定された首都バンドンにいくつかの部署を建設するようにインドネシア政府に命じたのは1920年7月でした。そしてその際に建設されたものの一つがGedung Sate です
オランダの建築家によって設計され、4年の月日をかけてオランダの東インドで最も壮大な建物の一つとして完成しました。そして今もなおこれはバンドンの象徴として知られています。
オランダ政府がオランダ東インドの首都をバタビアからバンドンに移すことにした後、建設計画が始まりました。建物の設計はJr. Bergerによって行われ、彼の設計した建物を建てるために合計で約2,000人の労働者が働いたといわれています。そのうち150人が広東出身の中国人で、残りは他の国から来た大工や石の彫刻家でした。建物の基礎をつくるために敷かれた最初の石はJohanna Catherina Coopsです。
統治時代、この建物はオランダの東インド政権による政治の中心地となっていただけでなく、植民地総督府の事務所の邸宅としても使用されていました。Gedung Sateは統治時代のバンドンの象徴でもあり、毎年ここで独立記念日が祝われています。この建物は、バンドン市の歴史において重要な役割を担っており、人々はバンドン市の最も重要な建物の一つとして大切にしています。
Gedung Sateは現在バンドン市の観光スポットの一つになっています。海外からも多くの観光客が訪れ、建物の周囲にある緑豊かな庭園の美しさもまた来訪者を楽しませています。毎日曜日には一般公開され、庭園や街の雰囲気を楽しんだり、軽いスポーツ活動をしたりすることもできます。
入場料
なし
営業時間
毎日、午前8時~午後5時まで
アクセス
フセイン・サストラネガラ空港からタクシーで25分、レウイ・パンジャンターミナルから25分、バンドンの駅から10分。
〶Jl. Diponegoro No.22, Citarum, Bandung Wetan, Citarum, Bandung Wetan
Kota Bandung – Jawa Barat 40115